会いたいけどあわない距離

会いたいけどあわない距離

元気かな、何してるのかなとは思うけど、じゃあ机挟んで喋りたいかと言われたらそれは違うんですよね。

誰かが言ってましたが僕らは記憶を美化していく生き物です。いいことはより良いことに、悪いことはそこそこ良いことに。それを分かっているからそのまま、キレイな状態で置いておきたい、今と昔の「答え合わせ」をしたくないんです。

自分が自信を持って解いた答えが違うことを認めたくないから答案用紙を引き出しの奥から探すことはしない。でもきっと答えは合っていると思いたい。そんな距離で覚えておきたいからあわないし、画面越しでぼんやり、なんとなくわかる距離が丁度良いんでしょうね。

この感覚は上の世代の方に聞いてみたいところですが、僕が思うに今のようにネットが当たり前でなかった時代は人との関わり方に「会う」か「会わない」しか選択肢がなかったのではないかと。電話や手紙もありますがそれは会う前提としての役割を担っていたように感じられます。

僕らの世代は高校に入るタイミングで携帯電話を持ち始め、電話やメール、GREEやmixiといったSNSに日常的に触れ、用途に合わせて他者との関わり方を変えることを覚えました。言い換えれば画面を通しての対面に無意識に慣れてきていて、これは大きな違いだと感じています。

必ずしも会う前提ではないがデジタル世代の当たり前であり普通のこと。今でこそこれは普通のこととして認知されていると思いますが、スマホの登場がなければ非常識として考えられていたのではないでしょうか。

一番多感な時期と言われる思春期に新しいコミュニケーションを学ばざるを得なかったんです。絵文字を使えなければ女の子を誘うこともできず、メールを返すタイミングを誤るだけでナシと思われる時を生きていた僕らはそうして画面越しの関わり方、見えない相手との距離感を探ってきました。

それを思うと今も度々ニュースに上がる年配男性の女性への異常な距離の詰め方(絵文字やスタンプの乱用、帰ってこない返事の督促)は同情してしまう部分があります。

然るべき時に学べなかった、タイミングを得られなかったのがそうした男性を生み出してしまうのだと感じ、僕も時代が違えば同じことをしていた可能性があると思うと他人事ではありません。

話がだいぶ逸れましたが画面越しに見る距離、「眺める」感覚を持ってから合わなくてもいいと思うようになりました。FBの存在が大きいのは間違いないでしょう。顔を合わせて話をしなくても何をしているのかわかるのですから。

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